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yoppiの雑記ブログ

祖母の在宅介護の実際

先日祖母の一周忌に行ってきました。祖母は晩年認知症を患い徘徊や物盗られ妄想で家族は悩まされました。法事に行き過去の思い出や介護に対する苦悩など父は思い出したようで時折涙を拭っていました。

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そんな父の在宅介護の様子を綴っていこうと思います。

生活背景

実家は農家で両親と祖母がいます。祖父が早くに他界したため50代半ばで後家となりました。嫁である母との折り合いが悪くしばしば衝突して家族でも浮いた存在となっていきました。70代を過ぎてから徐々に短期記憶の低下を来たし自分が置いた財布などを忘れたりするようになりました。

「財布がない=嫁に盗られた」財布が毎日のように無くなり毎日母は悪者になっていました。父が悪者になることは無かったと言います。そんな不穏な状況でも決まった時間に起き、朝食を食べ、畑に出る。こんな生活を何食わぬ顔で送っていました。

いわゆる「歩ける認知」

やがて「私は家に帰るんだ」と言って祖母は生家を目指して歩き始めるようになりました。家族は「家はここだ」となだめても一向に聞く耳は持ちません。不思議なことに10キロくらい歩いて無事に生家に辿りついてしまうんです。人間にも帰巣本能が備わっているのでしょうか。毎日徘徊は続きました。

一般的に徘徊には目的があるようです。無理やり静止しようとすると却って逆上してしまうため当初は納得するまで歩かせていたようです。しかし認知が進むと帰れなくなりました。途中で道が分らなくなりさらには帰り道すら分からなくなってしまいウロウロしてる所を通行人が警察へ通報、引き取りに行くようにもなりました。徘徊に付き合う余裕もなくなり、目が離せなくなりました。父は困り果てた末、部屋の扉にカギを掛け祖母が外出出来ないようにしました。虐待のように思うかもしれませんがこうでもしないと仕事どころではなかったようです。

介護保険の導入

市町村へ相談し介護保険の認定を経てデイサービスを導入することとなりました。詳しい介護度は忘れましたが週4回くらいデイサービスを利用することになりました。

デイサービスに行っても他の利用者とのコミュニケーションが上手くできなかった為、一日の大半はぼんやり過ごしていたそうです。もっとも「認知症対応型通所介護」ということもあり利用者は認知症の方々なので祖母だけに限ったことではありません。9時~17時の利用で食事、入浴、レクリエーションを行うためか今までのような徘徊は減っていきました。日中は活動するため夜は比較的落ち着いていたようですが夜間の失禁や不潔行為はたびたびあったようです。

再度の脳梗塞

デイサービスに通い始め3年くらいがたったある朝、起こしに行くと覚醒が悪く普段と違うと感じた父は慌てて救急車を要請、地域の総合病院に搬送されました。脳梗塞との診断ですぐさま点滴や酸素などの処置が行われました。「痛い」や「辛い」などの表出はなく祖母はただベッドの上で寝かされ生かされているような状態でした。リハビリが導入されましたが状態は改善されませんでした。主治医からの話では「このような状態では自宅では厳しい、施設でも探した方がいい」と言われました。このような状態とは寝たきり状態で食事は胃ろうからの流動食の注入です。

父親はそれでも「在宅」にこだわりました。なんで施設を選択しなかったの?と聞くと「ははは…金がかかるから」とだけ言いました。

在宅に戻るためにはすぐに退院はできません。在宅介護の準備と教育が始まりました。

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1.胃ろうからの栄養の注入

在宅退院後は家族が注入を行わなければなりません。適切な滴下スピードや薬の注入、物品の消毒の方法の指導を受けます。

2.おむつ交換、体位変換の方法

おむつの当て方や交換時間について指導が入ります。祖母は完全寝たきり状態なので床ずれが出来ないように体の向きも変えてあげないといけません。

3.体の起こし方、車椅子の乗せ方

寝たきり状態でも受け入れ可能なデイサービス(リビングデイ)が地域にあったため利用することが可能でした。しかしデイサービスの準備は家族が行わないといけません。玄関まで車椅子に乗せスタンバイをします。なので起こし方の指導も行われました。

4.介護保険の区分変更と福祉用具の選定

改めて要介護4と認定されました。ねたきり状態なので介護用ベッドやエアマットをそれぞれレンタルし退院までに準備しておく必要があります。

他にも指導が行われたようでしたが忘れてしまいました。

このように家族自身の介護スキルの習得や福祉用具の物品が揃わないと晴れて自宅退院が出来ませんでした。

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在宅退院後

家に連れて帰るにも乗用車に乗せることができないので介護用タクシーに依頼して自宅に帰りました。いままでの徘徊からは打って変わってこれからは寝たきりの介護となりました。

病院で学習した食事(胃ろうからの注入)やおむつ交換など日々の介護で生かされます。

父は「徘徊する時に比べると楽にはなった」と言ってました。

また病院では一定の温度に室内は保たれているのですが在宅では夏はエアコンかけっぱなし、冬はオイルヒーターかけっぱなしという状況でした。寝たきり状態で暑い寒いも言えない祖母。温度調整を間違えると汗だくになっていることもあったので夏場は特に神経質になっていたようです。布団を自分で掛けることもできないのです。

自宅にいることで孫である私や妹などさらには曾孫も訪れるので賑やかになります。祖母はわかっているかはわかりませんが、病院のベッドで寝かされていては孤独ですが、自宅にいることで家族に囲まれていた時間は多かったように思います。

状態の悪化

徐々に関節の拘縮が強くなり体が強ばっていきました。痰がからみ咳き込むようになり、時には便秘で嘔吐することもありました。週二回排便コントロールで入っていた訪問看護師からのアドバイスもあり痰の吸引を行うようにもなりました。なかなか痰を取るのは難しく父は恐る恐る鼻に管を入れ痰を引いていました。

高熱が続くようになり在宅生活の継続が困難となっていきました。ケアマネジャーや訪問看護師の勧めもあり療養型の病院を探し入院することになりました。だいぶ体力的にも弱っていたため数ヶ月の闘病の末、最後は家族から看取られる形で祖母は最期を迎えました。

 

最後に

父は口には出しませんでしたがずっと孤独だった祖母を在宅介護することにこだわっていたようでした。(看取るところまでは考えていなかったようです)8年にわたる介護もようやく終わったのです。

近年では在宅での介護が盛んに叫ばれていますが、家族での介護は要介護者の症状や状態によって家族への負担が大きく変わります。安心して在宅介護をする上で介護施設や療養型病床は最後の砦でもありますし必要不可欠であると私は思います。

また、一言で在宅介護と言っても介護の形はさまざまです。

祖母の最期を家族で見送れたことがなによりの餞だったように思います。

 

駄文・長文お許し下さい。ご視聴ありがとうございました。